紫草(むらさき)とは?

万葉集を象徴する植物「紫草(むらさき)」

  ※展示会「紫草と万葉の花展」の記事 → こちら

絶滅の危機に瀕する希少種「古代紫草」

 紫草(むらさき)は、古代から貴重な紫色の染料や薬の材料として大切にされてきました。文学作品にも数多く登場し日本の伝統文化を象徴する植物として格別な扱いを受けてきた植物です。しかし、近年進行する環境破壊や帰化植物の勢いに押され、絶滅の危機(※1)に瀕しています。すでに日本の草原からその姿を消しつつあり、紫草の存在そのものを知る人がほとんどいなくなってしまっているのが現状です。

 さて、比企郡は鎌倉時代の学問僧「仙覚律師(せんがくりっし)」が、万葉集の全体像を現代に伝来させるという大きな業績を成し遂げた地もあります。↓(比企郡小川町にある仙覚律師顕彰碑)

万葉集の秀歌に詠みこまれた植物!

 万葉集は、千数百年もの前のわが国の黎明期の状況や人々の生活を現在に伝える最古の歌集で、『古事記』『日本書紀』と並ぶ貴重な文化遺産です。豊かな自然を愛でた歌が多いことも特徴で、約四千五百歌中の実に三分の一に植物名が詠み込まれています。その万葉集の中でも特に親しまれ、学校教科書に最も多く取り上げられているのが、次の額田王(ぬかたのおおきみ)大海人皇子(おおあまのおうじ)の二首なのです。

 あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る

        額田王 巻1-20

 紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも

        大海人皇子 巻1-21

 これらの歌は、天智天皇のご料地(近江の蒲生野)での薬狩りの際に、額田王がかつての恋人の大海人皇子(のちの天武天皇)にあてて詠んだものに、大海人が応える歌になっています。紫草がモチーフとなった贈答歌であり、万葉集を代表する歌として長く親しまれてきたものです。その他の文学作品においても、紫草の扱いは格別で、例えば源氏物語の作者は「紫」式部で、登場する最上の女性に「紫」が名づけられています。枕草子や数多くの古典和歌集から近現代の宮沢賢治の童話に至るまで、紫草の名は様々な形で取り上げられてきました。

 わが国の伝統文化における紫草に対する格別の思いは、山田耕作作詞の旧東京市歌に『紫においし武蔵の野辺に日本の文化の花咲き乱れ・・・』とあるように、最近までわが国の普遍的認識だったことが伺えます。また、いわゆる名門校・伝統校の多くの校章や校歌に紫草が採用されてきたのも、歴史と伝統に裏付けられた格調の高さ、文化教養のイメージが重ね合わさって愛着をもって受け入れられてきたからに他なりません。 なお、埼玉県の県歌も『秩父の雲のむらさきに…』から始まりますが、この場合のむらさきは紫色の暗い雲を指すのではなく、紫草の白い花のような雲と捉えると意味が通じるのです。

古代より高貴な色の染料として!

 合成染料が開発される以前、天然に得られる「紫色染料」は、その希少さゆえに、洋の東西(※2)を問わず高貴な色として大切にされてきました。染料としての紫草は『風土記』等の資料に記され、各地遺跡の繊維染色の痕跡からも長い歴史を有することがわかっています。特に、聖徳太子の制定した冠位十二階の最上位は、深紫(こきむらさき)であり、その後の平安藤原氏のファミリーカラー、豊臣秀吉をはじめとする戦国武将がこの色の服に異常な関心を寄せたり、徳川時代は「江戸紫」として一大文化を形成するに至ります。古代エジプトやローマ、中国においても、紫色そのものが皇帝以外の者が身につけてはならない禁色とされた時期があり、政治権力や文化を象徴する色でもありました。平安期の『延喜式』には、武蔵国からも紫根を朝廷に運ばせたとあり、江戸末期まで関東各地でも栽培が継承されていたようです。しかし、近世の合成染料の登場により次第に栽培されなくなり、今や人々の目に触れる機会はほとんどなく、絶滅が危惧される状況に至っています。

※2 地中海を中心とした古代文明においては、ある種の貝から得られる成分による「貝紫」であり、植物色素とは別物です。

紫根は特別な薬効成分をも含む!

 紫草の根の部分に含まれるシコニン(※3)という色素は、金属イオンとの結合により鮮やかな紫色を呈し、水に不溶で繊維に固着しやすくなる性質が染色に利用されていました。また、この色素にはさらに興味深い作用があり、外傷、腫瘍、火傷、湿疹等に効能のある漢方薬(※4)として処方されてきました。薬効については、染色ほどには関心が注がれてこなかったものの、古来より紫で染色された布は肺病を遠ざけると信じられ、今でも高貴な家系の方々の間に、紫染めの衣料を身につける習慣が残っているとも言われます。また、最近になって色素シコニンに本当に細菌感染を抑制する作用があることが確認され、免疫を高める効果(例:抗HIV活性など)についての研究も注目されています。

※3 シコニン(Shikonin):色素シコニンの名は、紫根(しこん)の音をとったもので、わが国初の女性理学博士である黒田チカ先生(お茶の水大教授)が大正7年に成分構造の解明に成功し、命名されたものです。

※4 世界に誇る江戸時代の外科医「華岡清洲」が処方した紫雲膏が有名

〇紫根:しこん 〇紫雲膏:しうんこう

 最近、紫草への関心の高まりもあって、一部業者やマニアの間で販売、譲渡が行われているようです。ところが、やりとりされている株や種のほとんどは西洋ムラサキ(※5)またはそれが雑種化したもので、純系国産種とは違うものです。近似種間の受粉によって、純系種が次々と雑種化してしまっているのです。

※5 西洋ムラサキ:花が小さく中心がやや黄色、葉の色が薄く葉幅が補足密集するなどの特徴がある。


紫草(むらさき)の保存活動

遵守事項 2021年

 保存活動にご協力頂く場合、次の各点について事前の了解・誓約が条件となっております。いずれも、雑種化・絶滅を防ぐためであり、ご理解下さりますようお願い申し上げます。

『紫草の保存活動』は、NPOが厳正管理する株またはタネの一部を、NPO事業展開のために提供するものです。NPO会員のみが、この事業に関わることができます。

1.一般への広報活動にご活用下さい。画像を撮影したり、株を公開することもできます。ただし、商業的な活動はできません。

2.NPO所有の株またはタネを一時的にお預けし、栽培協力をお願いするものです。担当の許可なく、配布した株の貸与・譲渡はできません。

3.株を増やすことは可能です。ただし、混種防止のため、タネは取らず、挿し木のみで10株を上限とします。また、栽培状況の報告やイベントのため、株や紫根の提供を依頼することもあります。

4.保存活動の開始・辞退に伴う、株の受け渡しに関わる費用は各自の負担となります。

5.この遵守事項は、NPOの理事会にて、一方的に変更されることがあります。