わ た
万葉の花とみどり_わ た 綿 ワタ
しらぬひ筑紫の綿は身につけて しらぬひ筑紫の綿は身につけて 沙弥満誓 巻三 335
『読み』しらぬいのちくしのわたはみにつけて いまだはきねどあたたかにみゆ
『歌意』筑紫の国の真綿の衣はまだ着たことはないけれど、暖かそうだ。
当時の新素材
衣服の素材として、コウゾや麻についての歌は多く詠み込まれているのに、綿を題材にした歌はわずか二首です。この時代における綿が、蚕か野生の天蚕の繭から得られる動物性の繊維=「絹」のことで、綿の種は八世紀終わりにインド僧により伝えられ、万葉時代はまだ綿は栽培されていなかったという説が有力です。仮に植物の「綿」が早く渡来していたとしても、渡来した当時の綿種は日本の気候に合わず、すぐに絶えてしまったのではないかとも考えられてきました。しかし、歌に「いまだは著ねど…」とあり、真綿の衣は確かに高級なもので、既製素材ではない新しいものに対する憧憬の念を表現しています。記録上の渡来時期と歌の時間的な隔たりは60~70年程度、渡来した珍しい綿の草が大切にされないわけがありませんし、比較的暖かい九州の地に一時的にせよ栽培されていた可能性はあるのではないでしょうか。また、わざわざ筑紫という地名まで限定している点にも着目します。綿を詠み込んだ歌はもう一首あり、その作者はかの山上憶良です。百済からの帰化二世である山上憶良は、筑前守として天平元年~五年の間九州に滞在していましたが、その間に綿を題材にした次の歌を残しています。
人とはあるを 人並みに 吾も作るを 綿も無き…(巻五・892)
富人の家の児どもの着る身無み腐し棄つらむ絹綿らはも(巻五・900)
先進的な文化素養を持っていた憶良は、暖かい九州の地でいち早く「綿」の栽培を目にしていたかも知れません。それで、うわさの「筑紫の綿」というように詠まれているのでは…とも。
色変わりする花
夏から秋にかけてたくさんの花を付け、すぐに大きな実がふくらんできます。この皮がかなり硬く、晩秋になってようやくはじけるときには「ポン」と音がするともいわれています。綿といえば繊維の生産目的に栽培される農産物というイメージばかりが強いのですが、実際に育ててみてまず感じるのは花の美しさです。知らない人に尋ねられ、綿の花ですよと答えますと、たいていの人は驚きの表情を見せるようです。図鑑には、オクラのような花で黄色のものが一般的とあり、種類も多いようです。
管理者『妬持』の声
我が家のワタは購入した種から育てたものですが、花の色は始めは白く徐々に桃色に色づき、しぼむ寸前は赤紫へと変化するのです。似たような花の色変化のパターンを持つ植物は珍しくはないのですが、単なる農産物の一種と思いこんでいた私にとっては大きな発見でした。それにしても、オクラに似た花と山上憶良か…オクが深い話ではありました。
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