かたかご
万葉の花とみどり_かたかご 堅香子 カタクリ
もののふの八十娘子らが汲みまがふ 寺井の上のかたかごの花
大伴家持 巻十九 4143
『読み』もののふのやそおとめらがくみまごう てらいのうえのかたかごのはな
『歌意』大勢の若い娘たちがやってきて、入り乱れるようにして水を汲んでいるが、井戸の傍に咲くかたかごの花の美しいことよ。
冷涼を好む籠(かご)に似た花
「もののふ」は、宮仕えの文武百官で、多くの出身氏がいたことから「八十」の枕詞として用いられていました。たくさんの娘達が水汲みにやって来て、わいわいにぎやかにしている様子が歌われています。「かたかご」は、万葉仮名で堅香子と記載されていたので、長らく堅樫…つまり樫の木の一種ではないかと考えられていました。ところが、鎌倉期にかの仙覚が「かたかご」の読みを提唱し、カタクリに比定するのが通説となりました。うつむきかげんにひっそりと咲く可憐な花ですが、数ある万葉集の中でわずか一首にしか登場しないということでも特筆すべき花となっています。カタクリは、冷涼な気候を好む、どちらかというと寒冷地向きの植物で、現在の南限は四国、大和地方においては葛城山系の山頂部にしか自生していません。現在より気温が低かったとされる万葉時代ですので、畿内の人々の目に触れる機会はあまりなかったのではないかとも考えられます。なお、「かたかご」の名の由来は、「傾いた籠」花の形が籠ににていて、頭を垂れるように咲くことから付けられたとされています。カタクリの呼び名の方は、この植物がクリ林を好んで自生することから来ているとも言われています。この歌は、天平勝宝二年三月、越中守として赴任していた家持が現在の富山県高岡市あたりで詠み上げています。寒冷地へ赴任していたことで、たまたま編集者である家持がこの歌を万葉集の中で唯一詠み込んで選じ、現代に伝えられることになったのです。
真性「カタクリ粉」
カタクリは、「片栗粉」として一般にその名を知られるユリ科の植物です。これは、地下茎(球根)が大きく、かつてはここからデンプンを採って食用にしたことによるものです。しかし、もともと冷涼新鮮な気候を好む種であり、昨今の環境の変異によるものか、カタクリの数は激減し、すでに幻の野草と化しています。市販される片栗粉の原材料はもちろんジャガイモデンプン。それもすでに輸入物が多いとのこと。真性の片栗粉を所望したいと思えば、大人数で山を探し回り、ようやく探し当てたカタクリをそれはそれは地下深く掘り起こす事になります。さらに、掘りあげた球根はていねいにすりおろして水にさらすなどの作業も覚悟せねばなりません。そのコストたるや、単価は金の値をも上回りかねません。万葉人はなんとも贅沢な炭水化物を摂取していたことか…。花の方も、京都老舗の贅沢な御膳にたまに付いてくることがあるそうですが、通常の生活の範囲では食材としてお目に掛かることはまずないでしょう。なお、群生地を歩き回って気づいたことですが、どれもこれも東向きの傾斜地に生えていて、花は紋をきったように同じ方を向いているのです。傾斜角の関係で、花の頭を垂れるので、その方向が同じなのはまあ当然のことではあるのですが、宙に浮いたように大きな花を付けるのでよけいにそのような印象を受けたのかもしれません。
管理者『妬持』の声
カタクリの群生地として知られているある場所に行ってきました。駐車場で小銭をお布施して、さっそく傾斜地へダッシュ。…おお咲いてる咲いてる、一面カタクリの花が!早速デジカメを出したところが、どれもこれも急な斜面に生えている。うまく撮れないので、地面にはいつくばるようにして、カシャリカシャリと撮影。周囲の目も顧みず、はしゃいでた私でありましたが、帰宅後、画像編集しようとファイルを開いてみると、あれ、どれもこれもピンぼけだらけ。しかも、ただでも薄暗い林の中で夕方だったので光量不足のよう。トホホの撮影体験ではありましたが、このような可憐な花を目の当たりにできたということは幸福の極みではありました。
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