くれなゐ

万葉の花とみどり_くれなゐ 紅花 ベニバナ

 紅の深染めの衣を下に着ば 人の見らくににほい出むかも

         作者未詳 巻十一 2828

『読み』くれないのこそめのきぬをしもにきば ひとのみらくににおいいでむかも

『歌意』紅の色濃く染めた衣を下着として着たのだが、人が見てその色が透けて見えはしないだろうか。

最古級の染色素材

 ベニバナは中東原産、栽培の歴史は長く、古くはエジプト第六王朝時代の碑文にその記述があります。染色素材としてミイラの巻物染色にも使われ、繊維染色に関しては、藍と並び最古級のものと考えられています。日本へはシルクロードを経て高句麗より伝来しましたが、時代は4~5世紀か、それ以前(「日本書紀」や「風土記」の記述には応神朝とある)になるかもしれません。万葉時代にはすでに染料や薬用として広く使われ、「くれなゐ(紅)」の名で呼ばれていました。呉(くれ=高麗がなまった?)の国の藍染め、略して「くれなゐ」だそうです。ちなみに、ケイトウは「からあゐ」と呼ばれ、これは「から(韓)の国」から来た「藍」だからとも言われています。(藍染め一般をからあゐと呼んだこともあったためまぎらわしい)

 茎の先端に付いた花を摘むことから、末摘花とも呼ばれますが、こちらの名の方は源氏物語第6帖の題でもよく知られています。

高級染料

 ベニバナ色素は、古来より衣料はもちろん、化粧用の「紅」としても重宝され、単価金を上回る時期もあったそうです。江戸の初期には、最上ベニバナ(現在は山形県花)が、海船で酒田~敦賀~大津を経て京へと運ばれていました。いわゆる「紅の道」で、その後、かの上杉鷹山もベニバナ栽培を奨励し、米沢藩の財政立て直しに大いに貢献しています。しかし、化粧用の紅を抽出する独自の技術が開発されるなど、日本では江戸時代を頂点に盛んに栽培されたベニバナでしたが、発祥の地である中東や中央アジアではその後、ベニバナを利用する文化がどういうわけか残りませんでした。また、色素カルタミンに人体内の活性酸素を消したり、脳疾患を防止する働きがあるらしいことがわかり、医薬原料として注目されてもいるようです。 

特殊な赤系色素の染色

 ベニバナを水洗するとすぐに黄色い色素が浸出してきます。この色素は水溶性のサフラワーイエロー(Safflower Yellow)で、こちらがベニバナの洋名のサフラワーの名を襲名しています。紅花油のサフラワーオイルも良く知られています。この黄色の染色液ですが、「黄染」として木綿の染色に適しています。その染色方法は、一般的な植物色素の例に準じていて容易で、庶民的で簡単に染めることができます。しかし、絹染めに使用される色濃い赤色素は、黄染めのようにはいきません。色素成分は、カルタミン(Carthamin)という物質で、水に抽出することが難しく、媒染による発色や固着の効果もないのです。そこでアルカリ性溶液に溶解しやすい性質を利用して、酸を加えて色素を分離、繊維に固着させるという手間のかかる手法が用られてきました。古代の染色でこれほど化学的な手法を用いるのはベニバナ以外には見あたりません。時の職人による試行錯誤と経験を通じて開発された技法なのでしょう。 

管理者『妬持』の声

 「~ベニバナといえば天ぷら油くらいしか思いつかなかったのですが、高校時代に習った源氏物語の「末摘花」がこの花と同一でであることを知ったのはけっこう後になってからです。その古来の花の色素カルタミンに、抗ガン作用があるらしいとの話題には興味をそそられました。科学的実用性という形で「いにしへ」が見直されるようになっていくことは、とても意義深いことだと思います。

万葉カフェむらさき

築140年の古民家において、万葉をテーマにした展示室+ショップ等を計画しています。例えば、万葉の色を活かした草木染め、石けん、和紙アート、ワークショップなどなど提供してまいります。

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