さきくさ
万葉の花とみどり_さきくさ 三枝 ミツマタ
春さればまづさきくさの幸くあらば 後にも逢はむな恋ひそ吾妹
柿本人麻呂 巻十 1895
『読み』はるさればまずさきくさのまさきくあらば のちにもあわむこいそわぎも
『歌意』はるになればまずさきくさのその名のように幸せであったならば、またいつか逢うことができるでしょう、愛しい人よ。
幸を祈ることば
歌中の「さきくさ」は、花が「咲く」の掛けことばで、「幸(さき)く」と同音の繰り返しにも用いられています。歌意の「幸せであったならば」は、「大過なく無事であったなら」と読めば、続く「いつか逢うことができるでしょう」とつながる。恋人の安否を気遣う別れの言葉なのか、単なるご愛敬か不明ですが、春「先」に「咲く」その花の名に、愛しい人の「幸」を祈る気持ちを込めたには違いありません。いずれにしても、春は社会的は年度の始め、異動の季節であれば当然去る人もいるわけで、去りゆく人に贈る言葉としてふさわしいものではあります。また、山上憶良も次のようにさきくさを詠んでいますが、直接的には別の意に使われています。
白玉の 我が子古日は…父母も うへはなさかり さきくさの 中にを寝むと うつくしく しが語らへば… こちらの歌の方は「白玉のようなかわいらしい我が子(古日という名)は、父も母も自分を離れないで欲しい…自分は父母の間に寝ましょうとかわいらしく言ったので・・・」となるのですが、なぜここに「さきくさ」が用いられているのか、にわかには理解し難いものとなっています。亡くなった子ども古日を悼み、愛らしい子どもの昔日の姿を偲ぶ思いがじかに伝わってくる歌で、この「さきくさは」は「真ん中」の意味を持つといいます。三本の枝が分かれて育つさきくさという植物からの引用で、その枝のうちの真ん中の1本ということになるそうです。なるほど「さきくさ」は確かに「中」にかかる言葉であると解すことができますが、やはりそこにはすでに失ってしまった我が子への、「幸」多かれと願う気持ちが込められていたに違いありません。憶良は子供を愛おしむ歌をたくさん残していますが、この「さきくさの中に寝むと」の表現はその中でも秀逸の部に属するのではないでしょうか。
さきくさはミツマタか?
冒頭よりさきくさがミツマタであると断定して話を進めてしまいましたが、やはりそこは古代のお話。いくつか他に候補があるようです。まずは、「仙覚」によるヒノキ説。古今集の序文に引用されている催馬楽には、「・・・左岐久左乃三つば四つばに殿づくりせりや・・・」とあり、御殿の良材にはヒノキが使われていたことを根拠にするものです。次に有力なのはササユリで、枝や茎、花が3つに分かれている植物という条件に合致するからです。特にササユリは、奈良市の率川神社に三枝祭というのがあって、別名百合祭りとも呼ばれています。しかし、秋に咲くユリは季節に合わないし、ミツマタも中国から後に渡来してきたというのが定説なので、これだという決定的な根拠には欠けるようです。
紙の原料として
ジンチョウゲ科のミツマタは観賞目的はもちろん、繊維が丈夫なことで知られ、古くから紙幣や証紙等の原料とされてきました。ジンチョウゲ科の植物は一般に皮の繊維が強く、樹木の最も外側に位置して、幹そのものの強度を大きくしています。同科植物にガンピがあり、こちらもやはり優れた和紙の原料となっています。なお、偽札防止のため様々な材料が微妙に加えられている、我が国の紙幣製造の技術は高く、現在のそれは間違いなく世界一であるとのこと。
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